2009年08月21日

日本サッカー構造考(31)

2009年現在、Jリーグのクラブやプロ野球チームがある県は27都道府県です。

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Jリーグが開幕した15年前に比べて、倍以上になっています。実際にはJFLや地域リーグにJリーグ参入を目指しているクラブが多数あるわけですから、もう数年でさらに増える可能性があるわけです。

この間に、プロ野球も地方への移転や新規参入などもあり、“プロ”を取り巻く環境に変化が見られています。

もっとも大きな変化は、従来の母体企業依存の経営から「地域密着」型の経営に移ってきていることでしょう。

その契機となったのは、やはりアルビレックス新潟の成功です。Jリーグディビジョン2に参入した1999年からわずか5年で、観客動員数は10倍を超え、現在でもスタジアムに毎試合約4万人を集める実績は、プロ野球のチームも視察に訪れるほどです。

新潟の成功を支えた要因は幾つか挙げられますが、欠かせないのは選手たちの頑張り、特にホームで結果を残すことです。

新潟は他のクラブに比べて戦力的に秀でているわけではありません。高額な年俸の必要な日本代表選手や有名な外国人選手を抱えているわけではないのです。スポンサーも最大手の亀田製菓を除けば、小口の地元企業が大多数を占めます。そういったチームが、名だたる大企業を母体とした、あるいはスポンサーとする、有力選手を多数抱えたチームに、ホームの観衆の前で勝利することは、これ以上ないアピールになるのです。

クラブ運営では、スポンサー収入やリーグからの分配金とともに、入場料収入が大きな柱となっています。ですから、ホームで結果を残すことは、その試合を見に来た観客に「また来たい!」と思ってもらうこととなり、観客動員数を増やすこと、つまり入場料収入に直接結びつきます。また、観客動員数が増えればグッズなどの売上げにも繋がりますし、スタジアム周辺への波及効果も見込め、その結果、周辺地域のクラブ支援も期待出来るのです。さらに、ユニフォームのスポンサーロゴへの注目度も上がり、スポンサーも集まりやすくなるなど、良い循環が生まれるのです。

特にスポンサー収入は安定して多額の資金が得られるため、クラブ運営を左右する非常に重要な要素です。スポンサーロゴの価値を高めていくことが出来るかが、地方クラブの運営の成否を握るといっても良いのかも知れません。
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2009年08月20日

日本サッカー構造考(30)

甲府が経営危機に陥った要因としては、母体となる企業を持たないクラブチームであるため、それまでのほとんどのクラブがそうであったように、母体企業からの支援により赤字を補填することができなかったことや、スポンサーの撤退による収入減、地元住民へのアピールが不十分なため関心が低い上に、記録的なチーム成績の不振も相まって観客動員数が伸び悩んだことなどが挙げられます。

翌2001年、経営陣を刷新した甲府は経営再建に取り掛かります。

しかし、経費・人件費の抑制は既に限界に達していました。新しい経営陣は、これ以上無理をしても事態は好転しないと判断、新規スポンサー獲得による収益増を目指します。この時、ただ甲府の支援を依頼するだけでなく、スポンサーとなることによる税制面のメリットなども説明、ユニフォームやピッチ看板だけでなく、スタンドの横断幕から走り幅跳び用の砂場を覆うシート、怪我人を運ぶ担架の裏までスポンサー企業の広告スペースに充てることで、新たなスポンサーの獲得や低額スポンサーを数多く集めることに成功します。同時に、金銭的な面だけでなく、ユニフォームのクリーニングなどを支援してくれるスポンサーも開拓し、スポンサー収入については目処が立ちました。

また、クラブサポーター数は地道に居酒屋などまで巡りPRを行い目標を達成、地域イベントやボランティアに選手が参加し地元住民と交流を図ったり、企業からの景品提供を受け、ホームゲームで抽選会を行うなど、試合観戦以外でも観客を楽しませることで客足を徐々に伸ばし、観客動員数も概ね目標をクリアしクラブ存続条件を達成しました。

この年、甲府は初めて単年度で黒字を計上、以後2008年まで黒字を続け、順調に経営状況は改善されてきています。チーム成績も少しずつ上向くと、2005年にはJ2リーグ3位となり、出場した入れ替え戦で柏レイソルに勝利、2006年に念願のJ1リーグ昇格を果たしました。


現在も負債が解消されたわけではありません。ホームの山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場が観客とスポンサー広告に埋め尽くされ続けるかどうかが、甲府の今後を大きく左右するのです。

新潟のようなケースはおそらく稀であり、地方クラブのほとんどは甲府と似たような状況にあるのではないかと思います。Jリーグが提唱する「百年構想」を実現するためには、甲府が成功すること、そしてその成功に続くクラブが現れることが重要なのではないでしょうか。
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2009年08月19日

日本サッカー構造考(29)

アルビレックス新潟の成功は、地方クラブのモデルケースとなりうるものですが、スタジアムの収容人数をはじめ、様々な背景が大きく影響することも否めません。

1999年、新潟とともにJリーグディビジョン2に参入したヴァンフォーレ甲府は、1965年に設立された甲府クラブを前身としてJリーグ参入を目指してきました。

甲府クラブの時代から母体となる企業を持たないクラブチームとして活動してきた甲府は、Jリーグ参入に向けて戦力を充実、JFLでは4位になるなど結果も残しはじめていました。

しかし、Jリーグ参入こそ実現したものの、身の丈を超えた選手補強を進めたツケとしてクラブは多額の負債を抱えることとなり、主力選手を放出せざるを得なくなりました。さらに不況の影響もあり、スポンサーが相次いで撤退、代わりの企業が見つからずスポンサー収入も低迷、宣伝不足により観客動員数も伸び悩み、成績も前年と一転し低迷、チームは最下位を独走、負債が膨らむ事態となりました。そのため更なる経費節減のため主力選手を大量放出、観客動員のために電話勧誘やサポーターによるビラ配りなど様々な手を尽くしたものの、前年の成績に愛想をつかされ客足は戻らず、弱体化したチームも19連敗、26試合未勝利といった“記録”を残し、再び最下位を独走、負債はさらに膨らみ、ついに債務超過に陥りました。

一時は他地域へのチーム売却を含めた清算も取り沙汰されましたが、サポーターをはじめ各方面からの支援でなんとか存続が決まりました。しかし、以後存続の条件として

・「平均観客動員数3000人(2000年実績/1850人)以上」
・「クラブサポーター数5000人(同/2698人)以上」
・「スポンサー収入 5000万円(同/2600万円)以上」

という厳しい条件が課されました。

このような苦境の中、甲府は再建への一歩を踏み出します。
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2009年08月18日

日本サッカー構造考(28)

アルビレックス新潟は、ワールドカップ2002へ向けた新潟サッカー界の活性化を目指し、当時、北信越リーグに所属していた新潟イレブンSC(1955年結成)が母体となり、1994年に発足しました。

着々とチーム強化も進み、1997年には北信越リーグ優勝、全国地域リーグ決勝大会も2位となり、JFLに昇格すると、1999年にはJ2リーグ創設に伴いJリーグ加盟を果たしました。

J2リーグ昇格後は上位に位置するものの、なかなかJ1昇格を果たせませんでしたが、2003年、J2リーグ優勝を遂げJ1リーグに昇格、以後、安定して中位以上の成績を収め、上位進出を狙っています。

しかし、新潟が注目されるのは、着実なステップアップを果たしてきたことだけではありません。それは、浦和と並んでリーグ屈指の観客動員数を誇ることです。特に、2003年にJ2リーグ所属ながらJリーグ最多の年間観客動員数を記録すると、以後3年間、最多年間観客動員数を記録しました。新潟はホームスタジアムのキャパシティ(東北電力ビッグスワンスタジアム:42300人収容)に恵まれていることもありますが、人口100万人に満たない地方都市でも大都市の人気クラブ以上の観客動員数を記録し、スタジアムを観客で埋めることができることを立証したのです。

もちろん、はじめから今のような状況だったわけではありません。観客動員数を伸ばすために、赤字覚悟で大量の無料招待券を配り、観客を動員しました。そして、選手たちはホームの観客の前で、全力でプレーしました。そうすることで、徐々にサポーターの数を増やし、グッズの売り上げを伸ばし、さらにその他の様々な経営努力を積み重ね、安定した経営をするための“基盤”を手に入れていったのです。

また、新潟は、「アルビレックス新潟・シンガポール」としてシンガポールリーグに参加、女子サッカーチーム「アルビレックス新潟レディース」はなでしこリーグに、サッカー以外にもバスケットボールチームやチアリーディングチーム、スキー・スノーボードに陸上競技、野球の独立リーグなどにも参加し、異競技間交流を図ることで地域密着総合型スポーツクラブへと、少しずつですが着実に進んでいます。

当初は理念ばかりが先行し、道程の険しさが目立った地域密着型のクラブ運営ですが、既存の企業母体を持たないクラブが実現したことで、新潟はその後拡大されていくJリーグへ加盟する地方クラブの道標となったといえるでしょう。
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2009年08月17日

日本サッカー構造考(27)

前回は地方クラブの窮状について、でした。

Jリーグクラブ=プロ組織、となったが故に運営に苦しむ例として、FC岐阜を取り上げましたが、世界的な不況に見舞われている昨今、他にも経営に苦しんでいるクラブはJ1、J2とも少なくありません。

では、このような状況を打破していくヒントは何処にあるのでしょうか?

それを少しずつ探っていきましょう。

まずは、急激に進んだ地方クラブのプロ化です。

2009年シーズンから、Jリーグディビジョン2には新たに、栃木SC、カターレ富山、ファジアーノ岡山の3チームが加盟、参入しました。

3チームの新規参入で、2009年現在、J1リーグ18チーム、J2リーグ18チームがプロクラブとして活動しています。

1993年にJリーグが開幕するまでは“プロ”と言えばプロ野球しかなく、チームがあるのも当時は、埼玉県(所沢市)、千葉県(千葉市)、東京都(23区内)、神奈川県(横浜市)、愛知県(名古屋市)、大阪府(藤井寺市)、兵庫県(西宮市)、広島県(広島市)、福岡県(福岡市)、といった大都市圏に限られており、多くの集客が見込める地域以外、つまり“地方”でのプロチーム運営は困難であるという考えが一般的でした。

Jリーグも開幕時には、茨城県(鹿島郡鹿島町)、埼玉県(浦和市)、千葉県(市原市)、神奈川県(川崎市、横浜市)、静岡県(清水市)、愛知県(名古屋市)、大阪府(吹田市)、広島県(広島市)、と、一部地域を除いて、首都圏、大都市圏にクラブが集中していたのも同じ理由が挙げられます。

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その後、Jリーグは開幕時参入を逃したチームからの要望もあり、リーグ拡大路線を歩みますが、新規参入を果たした地域はJ2リーグが開幕する1999年までの間は、北海道(札幌市)、千葉県(柏市)、神奈川県(平塚市)、静岡県(磐田市)、京都府(京都市)、大阪府(大阪市)、兵庫県(神戸市)、福岡県(福岡市)、と、首都圏、大都市圏に集中する構図は変わりませんでした。

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しかし、この頃にはJリーグ開幕時のような盛り上がりは既になく、集客が見込めるハズの首都圏、大都市圏のクラブですら、経営に苦しむことは珍しくありませんでした。ついには、運営会社の経営破綻やチームの消滅といった事態にまで至ります。

このような状況の中、ある地方クラブがJリーグ加盟を果たします。
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